さびしげ自由

「ソレ」は何か急に始まって、いつもはいないここに今はいるのです。

代わりといってはなんですが、いつもいるところに今はいないのです。

いっそのことそれらのなかったあの頃に戻ってみようと、戻ってみています。

きっと、波の揺れ幅は大きくなって、色々あれこれと考え出すだろうので、せっかくの機会だから綴っておくことにする。

会社帰りに泳いだ。多くて週三、少なくて週一、これからしばらく水泳通いを続けるはずで、明後日あたり神田のスポーツ用品店街に足を伸ばそうとか考えてる。極度の運動不足とおいたわしい体型をいいかげんどうにかしてあげたいんでしょう。ついでに近辺にうまそうなもんでもないかと探してみたけど、あまりピンと来るものがなくて、明日もう少しよく調べてみようと思ってる。

彼を育てたあの人は心の臓を治療するとか。2月の頭。95%縮んだ管の1本を広げる施術。それほどの大事ではない様子を見せるあの人だけど、心の臓からガタの来たその身体は行く末的にどうなのかと思いを巡らすも、ひとまずは直近の治療が万事問題なくうまくいけばいいと思う。

2月の終わりの土日を予定するお泊まり会のご招待状を作りかけてやめた。なんかおやつやお夜食でも作って・・・と考えていたホットプレートのテフロン加工に寿命が来ていて、こびりついて使い物にならないとか。彼が家には本当にあるといいながない。

イヤホン耳にはめて好きな音楽聴きながら、読書とかしてみる。居間用に新しく買ったイスに腰掛けて、たばこ吸いつつ、コーヒーすすりつつ。ボルボンがなくなった。お泊まり会でみんなにも飲んでもらいたい。きっとまた買いに行く。

拝借してる本をまだ読み終えていない。買ってくるだけ買ってきて放置になってる雑誌も何冊かちらほら。気づいたら、父や母がいつの間にか手に取っていて、彼より先に読み終えていたというから苦笑もの。

っていうか、この本には思いがけないトラップが仕掛けられていて、この本からする匂いは、その主の匂いと同じだったり。あのときもそう思ったんだよね、とか思い出すとなおさら深みにはまるわけで、本当によくできた巧妙なトラップだこと。かなり前から思ってたけど、香りは記憶にも心的作用にも強く響きすぎて、たまに官能的であるけど、たまに酷だ。嗅覚の設計だけどっか間違えたんじゃないかって思う。

ケータイが鳴るとなんちゃらの犬なみに思わず身体がびくっと条件反射するけど、頭は「そのメールはない」って知ってるから、頭と身体の狭間あたりで心がやるかたなさを感じてしゅんとしてる。

何かとても自由なお時間で、何かとてもお気楽なお時間だけど、何か本末転倒のような気もしてきた。
ちっとも楽しくない自由でお気楽なお時間。何かが足りないし、何かいろいろ変わった、自分。